スキップしてメイン コンテンツに移動

2019.12.29-2020.01.02

12月29日(日)
 6時に起きて朝食後ウオーキング。途中でやはり、時計の電池が弱っていることを思い知らされた。ほぼ充電ができない状態なのだろう。年が明けたら電池交換と点検に出そう。 4月から退職によって生活が一変した。いろいろなことをした。今年の十大ニュースは1 定年退職した
2 アトリエの下の描いた絵の倉庫の大掃除をした
3 アトリエの大掃除をして使い勝手を変えた
4 7回目の個展の開催が決まった
5 夏に広島県呉市に行き、幼い頃に住んでいた場所を見た
6 秋に丹波篠山に行った
7 葛飾柴又に行った
8 パソコンとプリンタを買い換えた
9 電動工具をそろえた
10 たくさん歩いた

 10時過ぎに紙類を捨てに行って、洗車をしようと思ったが長蛇の列だったし、明日の朝は雨なので、洗車は明日の午後か明後日に自宅で行うことにした。ホームセンターに行って買い物をしてかつやでソースカツ丼を食べて帰ってきた。今日はアトリエの細かなところの掃除をした。その後、絵を描いた。ちょっと体が冷えたのかあまり体の調子がよくない。

12月30日(月)
 今日は、墓参りの後、一家で昼食を木曽路で食べた。その後、買い出しに行き、帰ってから鏡餅や正月飾りをした。毎年の恒例行事だ。昨晩はアトリエのエアコンを切り忘れていて、朝からアトリエは暖かかった。今日は絵を描かず、研究をした。一覧表を作って来年の3つめのお仕事の作戦を考えた。

12月31日(火)
 令和元年大晦日。早く目覚めた。霧が降りていた。ウオーキングに出たら、近くの公園の池が霧で対岸が見えなかった。しかし、暖かい。帰ってきたら妻が、職場に行ってウサギにえさを与えてくると言ったので、その間に洗車することにした。その後10時過ぎからアトリエに入る。今日はあまり絵は描かず、ゆっくりと過ごした。初めて石油ファンヒーターを使った。夕方は早めに切り上げ、夕食を食べて寝てしまった。

1月1日(水)
 夜中の0時前に目が覚めて風呂に入った。今日は伊勢に一人で行くので早く起きる。布団に入ったが結局寝られずに3時半にベッドから出た。朝食にそばを食べて伊勢に出発。伊勢湾岸を走っていたらナビが東名阪が四日市辺りで渋滞しているといった後に、川越で降りるように指示してきた。結局川越から23号をひたすら伊勢まで走ったが、高速を通ると大回りをするが、23号は湾岸の一番短いルートを通るので、いつも伊勢に着く時間(6時半頃)に到着した。五十鈴川河畔の市営駐車場に入れることができた。日が昇る前に内宮に入る。神事で列が止められ、参拝を終えたら8時を過ぎていた。別宮も参拝し、土産物を買って伊勢を出た。ナビは23号に行くように指示が出たが、三重県の妻の実家に行くのは午前中にしたかったので津の辺りまで高速で行こうと思い、伊勢道に入った。上りも四日市周辺で渋滞しているらしい。安濃サービスエリアで休憩と腹ごしらえをした。アオサ汁を無料で振る舞っていたのでいただいた。あられとアオサの入った椀にだし汁を注いだ物だがなんとも美味だった。津ぎょうざを食べて出発。亀山サービスエリアのETC出口から一般道に入った。11時頃に妻の実家に着いて、膝の手術のため伊勢に行かなかった妻や子どもたちと義母に新年の挨拶。お茶とお菓子をいただいておいとま。妻から今日は姪が我が家に来ているはずと知らされる。車に乗ってすぐに母に電話すると弟とその娘2人が既に来ていてこれからブロンコビリーに昼食に行くという。荒尾のアピタで昼食と夕食を買って帰った。夕べ寝てないし疲れたのでおとそをいただきながら昼食。その最中に母と弟たちが昼食から帰ってきた。夕方まで一緒に過ごし、夕食は伊勢で買ったサンマの姿寿司を中心にたべた。

1月2日(木)
 7時に起床。朝食は育てた正月菜で雑煮と思ったが、餅がどこにあるのか分からない。随分探した。仕方がないので正月菜と残りのエビ天で汁を作り、冷凍の焼きそばを温めた。その後、洗濯物をたたんで、年賀状のチェックと返信。その年賀状を投函しながら買い物に行った。昼食も買って家で食べ、4時前まで少しゆっくりと過ごした。アトリエに入り,絵を描く。夕食は6時半頃から。

コメント

このブログの人気の投稿

無事に個展が終了しました

  コロナ禍の中、無事に個展が終了しました。多くの方にお忙しい中をご覧頂いたことに、心より感謝申し上げます。  個展の作品と会場風景の動画を、ギャラリーdziのオーナーの義娘さんがつくってくださり、新制作協会の事務所を通してYOUTUVEにアップして頂けました。「高橋正樹絵画展」「新制作協会絵画部」「髙橋正樹 絵画」などで検索して頂くと見ることができます。

2019年8月26日(月)

 今日から母と旅行に出た。夕べ9時に寝たら、朝3時に目が覚め5時30分に出発。途中2回休憩し、2回目の休憩で牡蠣の串焼きゆず醤油味を食べた。昼過ぎには600キロ走って、広島県呉市、音戸ノ瀬戸に到着。驚いたのは山陽道から呉市までのバイパスが信号が無いのに一般道だったこと。しかし、山陽路はこういう道路が多い。音戸大橋を渡ってすぐの観光案内所の4階のレストランで食事した。網元が経営しているとのことで、刺身がうまかった。ヒラメの縁側、ひらめ、はまち、どれも少しだったが味、歯ごたえともなんとも言えないくらいうまかった。その後、幼稚園の年長から小学校2年まで過ごした家の場所を見に行った。もうその社宅(テラスハウス)は無かった。地形から考えて、現在消防署になっている辺りだと思った。母は父が仕事で建設に関わった工場が廃墟のようになっていたことにショックを受けていた。私が通った坪ノ内小学校も見てみた。小学校は崖の上にあり給食の前に廊下の手洗いで手を洗うときに見ていた風景(大きな工場の屋根がいっぱい並んでいる)を見て、記憶がよみがえってきた。高炉がたくさんあるのだが、最近絵を描くときに高炉に惹かれる理由も分かった。小さい頃から見ていたのだ。母と懐かしさに浸りながら大和ミュージアムに行った。海上自衛隊と造船の町だ。母は呉の町の変わりように驚いていた。私は学校の通学路などの記憶しか無い。駅周辺は覚えていない。  その後、尾道に直行し、コンビニに寄った後、尾道国際ホテルに入る。「本日はバリアフリーのお部屋をご用意いたしました。」と一応アップグレードしてもらったようだ。しかし、部屋は広めなのだが、サニタリーに向けてスロープが作ってあり、そのスロープに沿って壁が作ってあるため、申し訳ないがホテルと言うよりどこかの施設にいるようで落ち着かなかった。ただし風呂も広めで、湯船の外で体も洗えるようにしてあり、そのあたりはよい。洗面台も独立している。しかし、ソファーも椅子も無いので、ベッドに座るしか無い。夕食まで時間があったので、歩いて港に行き3枚スケッチした。  6時30分から夕食。10品の和会席だ。アワビの焼き物がうまかった。お造りは昼においしすぎるのを食べたせいか、比べてしまった。仲居さんにとてもお年を召した方がいて、話していたらなんと87歳とのこと。感服した。