スキップしてメイン コンテンツに移動

2019.12.9-12

12月9日(月)
 寒いのでアラームに起こされるようになった。朝食後ゴミ出しに行ったついでにウオーキング。洗濯機を回しておいたので洗濯物を干す。昆布だしで大根を炊いておく。大根さえ柔らかくなれば、他の材料と味付けを考えればすむ。その後、石油ファンヒーターの試運転を外で、ついでに山芋のツルの撤去、正月菜の種まき5回目、肥料やりをした。年賀状の必要枚数を考えよう。退職したから思い切って年賀状を減らそうと思う。
 母をCoCo壱に連れて行き昼食を摂り(私はビーフカツにチーズトッピング。イカリングサラダ)絵を描く。その後、娘が車を点検に出したので午後は支払いについて行った。ついでに今日と明日の買い物と灯油を買った。炊飯器の準備と予約をして再びアトリエに。
 
12月10日(火)
 1日勤務。帰りに納豆と一味、七味、冷凍食品を買って帰る。娘が夕食を作るのでウオーキングに出た。今日はボーナス支給日だったが金額を見て悲しくなった。去年までの5分の1もない。

12月11日(水)
 いつものように朝食後ウオーキング。途中で私の後任者が出勤する場面に出会い、言葉を交わす。シーツを含め洗濯機を回しておいたので中身を干す。その後、掃除機をかける。9時半過ぎにアトリエに入る。自転車で年賀状を買いに行き、通信面を作った。今年の新制作展に出品した作品と、寅さん像、丹波篠山金又の庭、金又からのスケッチと今年印象に残った写真を組み合わせた。通信面の印刷だけ行った。宛名の印刷は来週以降でもかまわないだろう。5時過ぎに妻を飲み会に送っていく約束をしていたのでアトリエで絵を描きながら待っていたら、予定より早く帰ってきたのでおかしいなと思ったら、高熱があるという。宴会の関係のプリント類を部下に渡してから医者に行くそうだ。慌てて夕食の買い出しに行く。インフルエンザかどうかは不明。

12月12日(木)
 半日勤務。職場に行ったら体調の悪い職員の仕事の代役をを頼まれた。今日は外仕事だ。仕事をしている間に妻からLINEが入りインフルエンザAだったとのこと。私も鼻水が出るし、声の調子もおかしいし、なんとなく関節が痛かったりするので感染しているのかもしれないが、予防接種を受けたため発症していないのかもしれない。私が指導している2人の職員も、随分成長した。黙って様子を観察したが、独り立ちができたと言えそうだ。 妻がうどんなら食べられると思い、冷凍きしめんとねき、私がそばに入れる天ぷらを買って帰る。妻は寝ていた。リエンザを処方されたらしいので明日には回復するだろう。1時半に家屋の定期点検に業者が来たが、そういう事情で外回りの点検だけにしてもらった。体調も考えてちょっとゆっくりとし、4時頃にアトリエに入る。夕食は娘が麻婆豆腐を作ると行っている。ネギやニンニクを食べてインフルエンザを吹き飛ばしたい。明日まで感染に気をつければなんとか乗り切れそうだ。

コメント

このブログの人気の投稿

無事に個展が終了しました

  コロナ禍の中、無事に個展が終了しました。多くの方にお忙しい中をご覧頂いたことに、心より感謝申し上げます。  個展の作品と会場風景の動画を、ギャラリーdziのオーナーの義娘さんがつくってくださり、新制作協会の事務所を通してYOUTUVEにアップして頂けました。「高橋正樹絵画展」「新制作協会絵画部」「髙橋正樹 絵画」などで検索して頂くと見ることができます。

2019年8月26日(月)

 今日から母と旅行に出た。夕べ9時に寝たら、朝3時に目が覚め5時30分に出発。途中2回休憩し、2回目の休憩で牡蠣の串焼きゆず醤油味を食べた。昼過ぎには600キロ走って、広島県呉市、音戸ノ瀬戸に到着。驚いたのは山陽道から呉市までのバイパスが信号が無いのに一般道だったこと。しかし、山陽路はこういう道路が多い。音戸大橋を渡ってすぐの観光案内所の4階のレストランで食事した。網元が経営しているとのことで、刺身がうまかった。ヒラメの縁側、ひらめ、はまち、どれも少しだったが味、歯ごたえともなんとも言えないくらいうまかった。その後、幼稚園の年長から小学校2年まで過ごした家の場所を見に行った。もうその社宅(テラスハウス)は無かった。地形から考えて、現在消防署になっている辺りだと思った。母は父が仕事で建設に関わった工場が廃墟のようになっていたことにショックを受けていた。私が通った坪ノ内小学校も見てみた。小学校は崖の上にあり給食の前に廊下の手洗いで手を洗うときに見ていた風景(大きな工場の屋根がいっぱい並んでいる)を見て、記憶がよみがえってきた。高炉がたくさんあるのだが、最近絵を描くときに高炉に惹かれる理由も分かった。小さい頃から見ていたのだ。母と懐かしさに浸りながら大和ミュージアムに行った。海上自衛隊と造船の町だ。母は呉の町の変わりように驚いていた。私は学校の通学路などの記憶しか無い。駅周辺は覚えていない。  その後、尾道に直行し、コンビニに寄った後、尾道国際ホテルに入る。「本日はバリアフリーのお部屋をご用意いたしました。」と一応アップグレードしてもらったようだ。しかし、部屋は広めなのだが、サニタリーに向けてスロープが作ってあり、そのスロープに沿って壁が作ってあるため、申し訳ないがホテルと言うよりどこかの施設にいるようで落ち着かなかった。ただし風呂も広めで、湯船の外で体も洗えるようにしてあり、そのあたりはよい。洗面台も独立している。しかし、ソファーも椅子も無いので、ベッドに座るしか無い。夕食まで時間があったので、歩いて港に行き3枚スケッチした。  6時30分から夕食。10品の和会席だ。アワビの焼き物がうまかった。お造りは昼においしすぎるのを食べたせいか、比べてしまった。仲居さんにとてもお年を召した方がいて、話していたらなんと87歳とのこと。感服した。