スキップしてメイン コンテンツに移動

2019.12.16-20

12月16日(月)
 妻が今日から勤務に復帰し、日常に戻る。ウオーキング中に洗濯機をかけておいたので帰ってきてから干した。出汁昆布と干し椎茸を水に戻した。この出汁を使って里芋と何かをに煮ようと思う。午前中は年賀状の宛名印刷をした。昼食を母屋で摂った後、里芋と大根を出汁で煮た。家にいた娘が「出汁のいいにおい」と言っていた。NHK午後生に倍賞千恵子が出ていたので2時前まで見た。今年、葛飾柴又に行ったこともあり、最近ユーチューブで「男はつらいよ」の名シーンを見ていたからだ。ちょうど昨日、寅さんがメロンを食べ損ねてすねるシーンを見たばかりだったが、今日はその話をしていた。
 アトリエに入り、中部新制作展に出品予定の作品にコバルトブルーを油でグレージングした。絵の具が乾いて落ち着くとどんな感じになるだろう。その後、蝶を5羽配置した。16時15分から歯医者なので、その後、買い物に行こうと思う。今日は夕食は3人だ。

12月17日(火)
 今日は本来1日勤務日だが、明日に変更してもらった。昨日からの雨でウオーキングには出られず、9時過ぎまでアトリエで過ごす。今週末の懇親会の準備などと少しの描画をした。10時前に着替えて車でギャラリーdziに行く。その足で太田川に車を停めて、金山へ。ソバキチでしらす丼とそばのランチを食べる。愛知県美術館に行き、新制作絵画展の搬入飾り付けに従事。C室を島橋先生と担当する。懇親会は多くの方が出席で、お金も集まった。絵を吊すワイヤーの金具が1つなくなると2500円ほどを弁償しなくてはならない。そこで、業者に確認し、残った金具と使った金具を点検した。何度数えても2つ足らない。何度も数え直しているうちに、業者より「ありました」の声。段ボール箱の中に2つあったとのこと。やっぱり、面倒でも確認をしないと。朝、ウオーキングに行かなかったのに2万歩以上を歩いた。ちょっと疲れた。家に帰ると6時半を過ぎていた。慌てて、ご飯を炊いて、おかずの準備をした。今日は息子と私だけだ。

12月18日(水)
 昨日の分の勤務をする。朝、普段なら5時15分にアラームで目覚めるのだが、6時前まで寝てしまった。やはり、昨日は疲れたのだと思う。帰りに炭酸水と牛乳、明日の夕食材料を買って帰った。

12月19日(木)
 今日は半日勤務。ちょっと職場で納得のいかない出来事があった。それとは関係なく、1時間年休をもらって帰宅。昼食前に中部新制作協会事務所の手嶋さんから頼まれた、宛名のタックシールを印刷した。昼食を手早く摂って、車で美術館に行った。諸費用の精算をしていたら呼び出された。20代のころに一緒の職場だった方が、私の絵と名前を見て会いたいと言ったそうだ。絵を描いているとこういうこともある。帰ってから夕食をつくった。妻は明日からの入院の準備と、仕事の整理をしていた。

12月20日(金)
 1日勤務。3日続けての勤務は久しぶりだ。妻は一度職場に行って、その後、娘が病院に送る。明日の手術は娘に付き添ってもらうからお父さんは来なくていいと言っていたのに、それは妻の勝手な勘違いで、娘は就職に向けたセミナー受講予定が入っていた。予定は見ない、人の話は聞いていない人なので娘も怒っていた。私も明日は新制作絵画展懇親会の幹事なので、方々にに電話や連絡をしまくって日程を空けた。帰りに病院へ寄って打ち合わせをした。怒れてきてはいたがここは貸しを作るチャンスと思い、笑いながら対応した。

コメント

このブログの人気の投稿

無事に個展が終了しました

  コロナ禍の中、無事に個展が終了しました。多くの方にお忙しい中をご覧頂いたことに、心より感謝申し上げます。  個展の作品と会場風景の動画を、ギャラリーdziのオーナーの義娘さんがつくってくださり、新制作協会の事務所を通してYOUTUVEにアップして頂けました。「高橋正樹絵画展」「新制作協会絵画部」「髙橋正樹 絵画」などで検索して頂くと見ることができます。

2019年8月26日(月)

 今日から母と旅行に出た。夕べ9時に寝たら、朝3時に目が覚め5時30分に出発。途中2回休憩し、2回目の休憩で牡蠣の串焼きゆず醤油味を食べた。昼過ぎには600キロ走って、広島県呉市、音戸ノ瀬戸に到着。驚いたのは山陽道から呉市までのバイパスが信号が無いのに一般道だったこと。しかし、山陽路はこういう道路が多い。音戸大橋を渡ってすぐの観光案内所の4階のレストランで食事した。網元が経営しているとのことで、刺身がうまかった。ヒラメの縁側、ひらめ、はまち、どれも少しだったが味、歯ごたえともなんとも言えないくらいうまかった。その後、幼稚園の年長から小学校2年まで過ごした家の場所を見に行った。もうその社宅(テラスハウス)は無かった。地形から考えて、現在消防署になっている辺りだと思った。母は父が仕事で建設に関わった工場が廃墟のようになっていたことにショックを受けていた。私が通った坪ノ内小学校も見てみた。小学校は崖の上にあり給食の前に廊下の手洗いで手を洗うときに見ていた風景(大きな工場の屋根がいっぱい並んでいる)を見て、記憶がよみがえってきた。高炉がたくさんあるのだが、最近絵を描くときに高炉に惹かれる理由も分かった。小さい頃から見ていたのだ。母と懐かしさに浸りながら大和ミュージアムに行った。海上自衛隊と造船の町だ。母は呉の町の変わりように驚いていた。私は学校の通学路などの記憶しか無い。駅周辺は覚えていない。  その後、尾道に直行し、コンビニに寄った後、尾道国際ホテルに入る。「本日はバリアフリーのお部屋をご用意いたしました。」と一応アップグレードしてもらったようだ。しかし、部屋は広めなのだが、サニタリーに向けてスロープが作ってあり、そのスロープに沿って壁が作ってあるため、申し訳ないがホテルと言うよりどこかの施設にいるようで落ち着かなかった。ただし風呂も広めで、湯船の外で体も洗えるようにしてあり、そのあたりはよい。洗面台も独立している。しかし、ソファーも椅子も無いので、ベッドに座るしか無い。夕食まで時間があったので、歩いて港に行き3枚スケッチした。  6時30分から夕食。10品の和会席だ。アワビの焼き物がうまかった。お造りは昼においしすぎるのを食べたせいか、比べてしまった。仲居さんにとてもお年を召した方がいて、話していたらなんと87歳とのこと。感服した。