スキップしてメイン コンテンツに移動

2019.09.24-28

9月24日(火)
 今日は本当は1日勤務の日だが、先週と同じく指導する相手が休みなのでこちらも年休を取った。夕べは歩きに行った。今朝どうしようか迷ったが、歩きに出た。ちょっと無謀だった。疲れてしまった。11時から車の半年点検だったのでそれまでに少し絵を描いた。点検のついでに昼食をすき家で摂って、帰ってきたら睡魔が襲ってきた。結局4時前まで寝てしまった。その後買い物に行き、再びアトリエに入る。今日は娘と夕食を作る。娘は来週からの実習に備えて昼型に生活を戻すため、今週からバイトに行かない。なのに夕方4時過ぎまで寝てた。

9月25日(水)
 12連休も今日で終わりだ。東京に行っていたのでとても長く感じた。1ヶ月くらい職場に行っていないような感じがする。
 ウオーキングに出るのをいつもより30分ほど遅らせて、時間を短くした。疲れて寝てしまっては本末転倒だ。股関節も痛くなるし。健康のために歩いているのだから。帰ってきてシャワーと洗濯。空気が乾いているのでシーツも洗った。その後、市から検診のチケットが来ていたので、それを利用しに近くのクリニックに行った。ついでにギャラリーdZiという市内のギャラリーに行った。今日から雑貨店になっているはずだと思ったからだ。ここのオーナーの北橋さんは、私の職場に外部講師としてきていただいていて、私が担当者だった。自身も絵を描かれる。ご主人を亡くされ、その後ギャラリーを始められた。11年前にここで個展をした。新制作展が名古屋に巡回するときに、協賛者として協賛金をいただいて、目録に載せるのだが、毎年お世話になっている。今年はそのお願いの前に退職をしたことを報告した。今年も協賛していただけるとのことだ。この方とも縁が深い。雑貨でブローチを売っていたので妻の栄転祝いに2つ購入したら、半額にまけてくれた。申し訳ない。買い物に行き家で昼食を摂り、アトリエに入った。今日は娘が夕食を作るので、夕方涼しくなったら裏庭の草取りをしよう。

9月26日(木)
 昨日の夕方は裏庭の草取りをした。隣の家に迷惑をかけていた。来年はもう少しこまめに手入れしよう。畑を一部作って、青しそやバジルを植えることも考えよう。
 今日は久しぶりに職場に行く。半日勤務でよかった。昼で勤務を終えて昼食の菜を買って帰り、そばを食べた。午後はBSの映画を見てからアトリエに入った。今日と明日も娘が夕食を作る。

9月27日(金)
 今日は1日勤務。外に2時間いたので疲れた。家に帰って、娘が作った鱈のホワイトソース煮(豆乳とクリームチーズで代用)と親子丼と味噌汁をいただいた。早く寝た。

9月28日(土)
 母がアトリエ横の階段と通路に手すりを付けたいと行って見積もりを取った。母屋側に手すりを付けると、下のコンクリートに穴を開けることになる。アトリエの1階は元々ガレージでそこに金属板の壁を作って絵の倉庫にしてある。そのため、その壁を使って手すりをアトリエ側に付けた方が安く簡単に住むので、アトリエの壁に手すりを付けることになった。月曜日から工事が始まるので、絵を反対側に寄せようと作業をした。そしたら、今まで動かしていなかった母屋側の絵の下にシロアリがわいて大変なことになっていることが分かった。ある程度整頓、掃除をしたが、最後までやりきれなかった。いっそこの際、倉庫の水漏れも直して、シロアリ対策もして、要らない絵を処分しようと思う。アトリエ下にあった妻の車の冬用タイヤを母屋の玄関まで運んだりもしたが、とにかく腰が痛くなった。
 作業中、昔の大きな絵を久しぶりに見たが、新制作展に応募した場合、選外作品の方が多いし、とても多忙だったので写真も撮っていなくて、「こんな作品描いたっけ」という物もあった。でも、なかなか、今見ると新鮮だった。
 昼過ぎまでかかり、掃除した。シャワーを浴びて、洗濯をして昼食を摂った。その後アトリエへ。絵が描きたいが、腰が痛いし眠たくなるかもしれない。夕方は「くすのき会」という前の職場の関係者の会があるので参加する。

コメント

このブログの人気の投稿

無事に個展が終了しました

  コロナ禍の中、無事に個展が終了しました。多くの方にお忙しい中をご覧頂いたことに、心より感謝申し上げます。  個展の作品と会場風景の動画を、ギャラリーdziのオーナーの義娘さんがつくってくださり、新制作協会の事務所を通してYOUTUVEにアップして頂けました。「高橋正樹絵画展」「新制作協会絵画部」「髙橋正樹 絵画」などで検索して頂くと見ることができます。

2019年8月26日(月)

 今日から母と旅行に出た。夕べ9時に寝たら、朝3時に目が覚め5時30分に出発。途中2回休憩し、2回目の休憩で牡蠣の串焼きゆず醤油味を食べた。昼過ぎには600キロ走って、広島県呉市、音戸ノ瀬戸に到着。驚いたのは山陽道から呉市までのバイパスが信号が無いのに一般道だったこと。しかし、山陽路はこういう道路が多い。音戸大橋を渡ってすぐの観光案内所の4階のレストランで食事した。網元が経営しているとのことで、刺身がうまかった。ヒラメの縁側、ひらめ、はまち、どれも少しだったが味、歯ごたえともなんとも言えないくらいうまかった。その後、幼稚園の年長から小学校2年まで過ごした家の場所を見に行った。もうその社宅(テラスハウス)は無かった。地形から考えて、現在消防署になっている辺りだと思った。母は父が仕事で建設に関わった工場が廃墟のようになっていたことにショックを受けていた。私が通った坪ノ内小学校も見てみた。小学校は崖の上にあり給食の前に廊下の手洗いで手を洗うときに見ていた風景(大きな工場の屋根がいっぱい並んでいる)を見て、記憶がよみがえってきた。高炉がたくさんあるのだが、最近絵を描くときに高炉に惹かれる理由も分かった。小さい頃から見ていたのだ。母と懐かしさに浸りながら大和ミュージアムに行った。海上自衛隊と造船の町だ。母は呉の町の変わりように驚いていた。私は学校の通学路などの記憶しか無い。駅周辺は覚えていない。  その後、尾道に直行し、コンビニに寄った後、尾道国際ホテルに入る。「本日はバリアフリーのお部屋をご用意いたしました。」と一応アップグレードしてもらったようだ。しかし、部屋は広めなのだが、サニタリーに向けてスロープが作ってあり、そのスロープに沿って壁が作ってあるため、申し訳ないがホテルと言うよりどこかの施設にいるようで落ち着かなかった。ただし風呂も広めで、湯船の外で体も洗えるようにしてあり、そのあたりはよい。洗面台も独立している。しかし、ソファーも椅子も無いので、ベッドに座るしか無い。夕食まで時間があったので、歩いて港に行き3枚スケッチした。  6時30分から夕食。10品の和会席だ。アワビの焼き物がうまかった。お造りは昼においしすぎるのを食べたせいか、比べてしまった。仲居さんにとてもお年を召した方がいて、話していたらなんと87歳とのこと。感服した。