スキップしてメイン コンテンツに移動

2019年7月11日~15日

7月11日(木)
 今日は1日勤務。朝、アトリエで蝶の描画の準備をしてから職場に行った。広口瓶はたまたま、娘がジャムの大きめの瓶を洗っていたのでそれをもらうことにした。ジャムの瓶なら100均で買うより、密閉性は確実だ。
 職場で仕事をしていたら、娘がお世話になり、今は息子がお世話になっている高校の先生が来た。私が今関わっている人も、昨年までその方にお世話になっていた。会えてよかった。

7月12日(金)
 雨が止んだ。今日は1日勤務。朝、少しだけウオーキングしてから出勤した。その方が体調がいい。なんとなくおなかが痛くて、おなかが張った感じがして変な病気になったのかなと思っていたが、どうも軽い胃腸風邪にかかったのではないかと思う。職場のクーラーが寒い。変な咳をしている同僚も多い。変な病気ではなくてよかった。快方に向かっている。そういえば、今日は息子の誕生日だ。

7月13日(土)
 久しぶりに長いウオーキングをした。体が軽かった。全然疲れていない。やはり、毎日ではなく時々休んだ方がよいかもしれない。今日は夕方から前の職場の職員ではなく、職員も少し含まれるが、関係者の皆さんが私の退職・還暦祝いをしてくださるということだ。その挨拶を昨日から考えていた。要は感謝の気持ちが伝わればよいのであまり考えすぎないことにした。お土産も準備した。私のグッズ(絵のマグネットや缶バッジ、キーホルダー、絵はがきなど)だ。31人も集まるとのこと。恐縮。

7月14日(日)
 昨日の還暦祝いの会は盛り上がった。最後にピンクのポロシャツを着せられ、その上からお決まりの赤いちゃんちゃんこと帽子をかぶせられ、みんなとたくさん写真を撮った。大きな花のバスケットもいただいた。2次会にもたくさんの人が来てくださった。帰りは車で送っていただき、家に着いたらたくさんLINEで写真や動画が送られてきた。ありがたいことだ。
 今朝は普段通りに起きたが、二日酔いだった。そんなにたくさん飲まなかったのに、最近は普段の晩酌の量を減らしているので、少しアルコールに弱くなってきたかもしれない。それに、ほとんど何も食べていない。つくねと串カツを1本ずつと、鍋を一口食べただけだ。だから酔ったのかもしれない。右手が痛い。夕べ傘を差したからか。
 アルコールが残っていたので、朝からウオーキングをするのはやめておいた。町内の掃除があったのでそれに参加し、帰ってきてから午前中はのんびりと過ごした。11時過ぎに早昼を摂って、いつもと違うコースにウオーキングに出た。帰りに100均に寄るのが目的だ。ダンマルワニスをつくったが、久しぶりにつくったので分量を間違えた。nグラムのダンマル樹脂に2nmlのテレピンを入れなければいけないのに、nmlでつくってしまい、ジャムの瓶いっぱいの量にしてしまったので、大きめの瓶に移し替えて倍の量のテレピンを入れなければどろどろで使いにくい。帰ってきてからシャワーを浴びて体重を量ったら、10年以上前しか見たことのない体重と体脂肪率になっていた。晩ご飯を食べないとこんなに減るのか。
 少し体を休めてアトリエに入り、ダンマルワニスをつくり直した。テレピンをどこかで買ってこなければ。いつもは画材は通販で買うのだが(買う量が多すぎて重いし、大きな絵の具は買いに行っても一般的には売れないので置いてないことが多いため)テレピンだけだと送料がかかってしまう。参加しやすいから買いだめしたくないし。来週は中部新制作研究会が愛知県美術館で行われ、もちろん出席するのでそのときに買って帰ろう。


コメント

このブログの人気の投稿

無事に個展が終了しました

  コロナ禍の中、無事に個展が終了しました。多くの方にお忙しい中をご覧頂いたことに、心より感謝申し上げます。  個展の作品と会場風景の動画を、ギャラリーdziのオーナーの義娘さんがつくってくださり、新制作協会の事務所を通してYOUTUVEにアップして頂けました。「高橋正樹絵画展」「新制作協会絵画部」「髙橋正樹 絵画」などで検索して頂くと見ることができます。

2019年8月26日(月)

 今日から母と旅行に出た。夕べ9時に寝たら、朝3時に目が覚め5時30分に出発。途中2回休憩し、2回目の休憩で牡蠣の串焼きゆず醤油味を食べた。昼過ぎには600キロ走って、広島県呉市、音戸ノ瀬戸に到着。驚いたのは山陽道から呉市までのバイパスが信号が無いのに一般道だったこと。しかし、山陽路はこういう道路が多い。音戸大橋を渡ってすぐの観光案内所の4階のレストランで食事した。網元が経営しているとのことで、刺身がうまかった。ヒラメの縁側、ひらめ、はまち、どれも少しだったが味、歯ごたえともなんとも言えないくらいうまかった。その後、幼稚園の年長から小学校2年まで過ごした家の場所を見に行った。もうその社宅(テラスハウス)は無かった。地形から考えて、現在消防署になっている辺りだと思った。母は父が仕事で建設に関わった工場が廃墟のようになっていたことにショックを受けていた。私が通った坪ノ内小学校も見てみた。小学校は崖の上にあり給食の前に廊下の手洗いで手を洗うときに見ていた風景(大きな工場の屋根がいっぱい並んでいる)を見て、記憶がよみがえってきた。高炉がたくさんあるのだが、最近絵を描くときに高炉に惹かれる理由も分かった。小さい頃から見ていたのだ。母と懐かしさに浸りながら大和ミュージアムに行った。海上自衛隊と造船の町だ。母は呉の町の変わりように驚いていた。私は学校の通学路などの記憶しか無い。駅周辺は覚えていない。  その後、尾道に直行し、コンビニに寄った後、尾道国際ホテルに入る。「本日はバリアフリーのお部屋をご用意いたしました。」と一応アップグレードしてもらったようだ。しかし、部屋は広めなのだが、サニタリーに向けてスロープが作ってあり、そのスロープに沿って壁が作ってあるため、申し訳ないがホテルと言うよりどこかの施設にいるようで落ち着かなかった。ただし風呂も広めで、湯船の外で体も洗えるようにしてあり、そのあたりはよい。洗面台も独立している。しかし、ソファーも椅子も無いので、ベッドに座るしか無い。夕食まで時間があったので、歩いて港に行き3枚スケッチした。  6時30分から夕食。10品の和会席だ。アワビの焼き物がうまかった。お造りは昼においしすぎるのを食べたせいか、比べてしまった。仲居さんにとてもお年を召した方がいて、話していたらなんと87歳とのこと。感服した。